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mixiの中で『現代の精神医療』の問題点を取り上げた 市民の人権擁護の会サイクバスターさんの日記を、本人から許可を頂き転載しています。

狙われる芸能人 2008年01月31日23:44
(mixiのサイクバスターさんの日記から転載)

ブリトニー、精神科に緊急入院!警察ヘリ、パトカーにエスコートされ大騒ぎ!

芸能に携わる人々はよく精神医学のターゲットとなります。
ブリトニー・スピアーズもついに精神病院に入るほどにまでさせられてしまいました。

恐らく、奇行は向精神薬の副作用でしょう(奇行を助長させるということも含めて・・・)

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http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=13480064&comm_id=1347706

20世紀の初め、精神医学と心理学がハリウッドに入り込み、創造力はノイローゼの一形態であるという再定義を行いました。                           
1916年に、ヴィルヘルム・ヴントの弟子であるドイツの心理学者フーゴ・ミュンスターベルクは、『映画:心理学的研究』という本を書き、その中でこのように記しています。

「映画のスクリーンは、心理学的実験や心理テストに対する広範囲な大衆の関心を引きつける、独自の機会を提供するものであるべきだ。」ミュンスターベルクは、映画業界は「心の専門家」である心理学者をアドバイザーとして雇うべきだと示唆した最初のひとりでした。       
クリン・ガバード教授とグレン・ガバード教授によれば、1957年から1963年の間に、ハリウッドでは精神科医が「理性、調和、そして幸福の権威」であるかのように描かれるようになりました。

精神医学は、銀幕の上で自らの正当性を宣伝することによって、薬物や精神分析といった精神医学の治療が、人々をより幸福な生活へと導くという観念を広く普及しました。その結果、多くの偉大なアーティストがそのような精神科医の計画に誘い込まれ、その代償として自分たちの正気さ、時には生命さえも奪われることになったのです。      
          
■ジュディ・ガーランド:1922~1969年      
                            
17歳で世界的なスターになったジュディ・ガーランドは、すでにその人気の代償とも言うべきプレッシャーに悩まされていました。映画スタジオとの契約には、彼女が一定の体型を保つという条件が含まれており、もし体重が増えれば、ギャラの支払いを差し止めるというものでした。彼女は抗うつ剤とアンフェタミン系覚せい剤、そして睡眠を促すバルビツール剤を処方されました。ガーランドの薬物依存は日増しにひどくなり、精神科医に通うようになりました。1949年、まだ27歳になっていなかったガーランドは、電気ショック療法という暴力によってその才能を台無しにされてしまいました。
1950年代末、長い闘病生活の末に返り咲きをめざして悪戦苦闘していたガーランドは、ベイリウム、ソラジン、さらに1日当り40錠のリタリンを処方されました。1969年6月21日、ガーランドは精神薬の過剰摂取により亡くなりました。      
                            
■カート・コバーン:1967~1994年
                     
非常に高い創造性を備えた才能ある少年、カート・コバーンは、「多動性」のレッテルを貼られ、リタリンを処方されました。リタリンは違法薬物の乱用につながることが知られており、また腹痛を引き起こします。コバーンは「自分のはらわたの火をかき消すために」ヘロインの使用へと走りました。 薬物常習癖を断ち切るため、精神科の薬物リハビリセンターに入院した36時間後、彼は施設を抜け出し、自分を銃で打ち抜きました。彼の血流からは、ヘロインと精神安定剤ベイリウムが検出されました。                       

■フランシス・ファーマー:1913~1970年                        
1930年代から40年代に活躍した舞台女優で映画女優でもあったフランシス・ファーマーは、1943年に精神医療施設に強制収容されました。ファーマーは90回ものインシュリン・ショック療法を施され、繰り返し電気ショックを与えられました。彼女はそこで体験したことについてこう語っています。「看護人にレイプされ、ネズミにかじられ、腐った食物を与えられた。さらに監禁室で鎖につながれ、拘束服を着せられた。その上、氷の風呂に入れられ、溺れそうになった。」彼女のキャリアは台無しになり、その後二度とハリウッドに返り咲くことはありませんでした。                 
                            
■マリリン・モンロー:1926~1962年 

女優のマリリン・モンローは、「自分が持っている爆発的なエネルギーをすべて解放する」ために心理分析を受けるべきだと信じ込まされ、中毒性のある薬物を処方する精神科医を紹介されました。治療を受ける前の7年間に、モンローは23本の映画に出演していましたが、その後7年間はわずか6本に終わりました。 モンローが最後を迎えた日、彼女は精神科医のラルフ・グリーンソンに会い、その6時間後に死亡しました。薬物の過剰摂取が原因でした。                 
                            
■デル・シャノン:1934~1990年

1960年代のロックンロール・スター、デル・シャノンは、21ヵ国のチャートで1位になったヒット曲「ランナウェイ」で最も知られています。1990年のツアー・スケジュールのストレスが原因で、彼は精神科医に診てもらい、抗うつ剤を処方されました。シャノンの妻は「感情をかき乱し、震える手でうろつき回り、自分をコントロールできなくなった彼をじっと見守っていました」と述べています。その薬物を取り始めてから15日後、シャノンは自殺しました。          
                            
■エリック・ダグラス:1960~2004年 

カーク・ダグラスの息子エリックは、処方された精神安定剤と鎮痛剤をアルコールと併用して服用したことで「急性中毒」を起こし、死亡しました。公式な記録によると、ダグラスの死亡は精神科医ウィリアム・O.リーダーの治療が原因だったとされています。 それ以降現在に至るまで、リーダーの免許はカリフォルニア州医療委員会により取り消されています。2004年5月、その訴えは和解となりました。          
                            
■チャーリー・〝バード〝・パーカー:1920~1955年

15歳になるころまでには、すでにチャーリー・〝バード〝・パーカーは、革新的なアイデアをジャズにもたらしたプロのジャズ・ミュージシャンであり、後に「ビバップ」というジャンルを創造しました。1946年に、彼は精神病院に監禁され、強力な薬物を処方されました。バードは、これらの薬物とアルコールの合併症によって引き起こされた心臓発作の結果、死亡しました。伝説的なロックバンド、フリートウッド・マックの中心メンバーだったスティービー・ニックスは、コカインの乱用を止めた後、薬物から完全に手を切るために精神科医に会いました。その精神科医はすぐに彼女を精神安定剤中毒にしました。 
「その治療は、私のキャリアや私自身を破滅寸前にまで追いやりました。そればかりか、私が何年もその治療によって自分自身を見失っていたので、両親さえも破滅寸前まで追い込まれていました。」―スティービー・ニックス(フリートウッド・マックのリード・ボーカル)

詳しくは以下を見て下さい。

□精神医学 死を生み出している産業

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